講演・シンポジウム

ケアする人のケアセミナー

 11月17日、富山県高岡市で、財団法人住友生命社会福祉事業団と財団法人たんぽぽの家の共同主催により「ケアする人のケアセミナー “わたし”から始める支えあい」が開催されました。わたしは、第三分科会、「ケアする人のグリーフケア」のコーディネータでした。


高岡市とはどんなところ?


 前日、JR高岡駅に16時半に到着しました。まだ、暗くなってはいませんでしたが、下校する高校生のほかは、町に人影がほとんどありません。薬屋でちょっとした買い物がしたくて、コンビニかドラッグストアのようなものを探しましたが見当たらないばかりか、ほとんどの商店はシャッターが閉まっていました。
ひとつの理由は、平成26年度末に北陸新幹線が開通する予定で、駅周辺の再開発工事が行われているからなのでしょう。もうひとつ考えられるのは、高岡市の高齢者の状況です。人口は178,354人ですが、このうち65歳以上の市民は27%、75歳以上の高齢者は14%です。過疎地域と比べて、高齢化がそれほど進んでいるとはいえません。しかし都市部と異なるのは、高齢者の独り暮らしや夫婦だけの世帯が少ないことです。横浜市青葉区では核家族世帯が68.4%なのに対し、高岡市では53.4%、三世代世帯も青葉区2.4%、高岡市16.7%と明確な差が見られます。富山県は持家率が78.3%と全国一なのですが、青葉区も69.7%と決して低いわけではありません。しかし、この家族構成の違いは着目すべきでしょう。話が広がりすぎましたが、たぶん生活必需品は、同居家族が一気に揃う大型スーパーに車で行って購入するのでしょう。そのため、平日の日中、歩いて買い物する客の姿を見かけないのではないかと感じました。


介護者家族と若者スタッフにあふれた会場


 ケアする人のケアセミナーですから、会場はざっと見たところ、40代から60代のおそらく介護者または介護経験者と思われる世代が多かったようです。また、会場で活躍していたのは、十数人の20代のボランティアでした。不登校や引きこもりの支援を行っている「コミュニティハウスひとのま」の会員が地元開催のセミナーの運営を手伝っていました。そこで、控室で接待役をしてくれていた女子大学生に、活動の内容や三世代同居、看取りなどについて聞いてみました。前述の高岡市の分析は、彼女の回答にヒントを得て、国勢調査と照合したものです。
さて、基調講演はNPO法人「ホームホスピス宮崎」理事長の市原美穂さんが、「かあさんの家」での看取りの状況を説明されました。末期がんや老化によって、飲食物の摂取が困難となったり胃瘻となった終末期の高齢者を、家具什器ごと借りた宮崎県内の空家で法人のホームヘルパーが穏やかに看取るという支援の形でした。5人単位の生活で、看取りの期間はおおむね1年から3年。利用料は介護保険利用で18万円くらい、空家は無料で借りられ、初期投資がかからず運営はすべて人件費につぎ込めるというお話が印象的でした。現在、県内で4か所運営されています。他にケアサロンの運営や、研修会、講演会による学びの場と地域づくり、聞き書きボランティアによる小冊子の作成等、ハーモニー虹の構想をすでに実践されているという感じでした。


肝心の「ケアする人のグリーフケア(第三分科会)」


第三分科会は、基調講演の市原さんとつくば国際大学医療保健学部看護学科でグリーフケアを研究されている高橋聡美先生と担当しました。当初は富山市の介護・看取り経験家族が出席される予定でしたが、90代とご高齢のため体調不良で残念ながらお見えになりませんでした。市原さんの看取りの講演の余韻と、当事者の不在を補うべく父の看取りのプロセスを私が話してしまったために、前半は看取りに焦点が当たりすぎ、本論のグリーフワークがやや翳んでしまったきらいがありました。看取りのプロセスをどのようにたどるかによって、後のグリーフケアは大きく影響されることを伝えたかったのですが、そのあたりが不明確だったかもしれません。また、父のケアは横浜市青葉区の自立意識が旺盛な高齢者の看取りの道のりであり、高岡市あるいは富山県では実例としてはあまり適切ではなかったと後から感じました。
そのことも含めて、フロアの28人ほどの参加者には聞く一方ではなく、発言したい空気がありました。投げかけたところ、60代とおぼしき男性が母の特養での死を巡っていまだ納得がいかず、整理しきれない感情があるという話をされました。また、親が認知症により行方不明となり数年経過し、受け入れきれない友人にどう接していいか戸惑っている等の発言もありました。これについては、高橋先生が「曖昧な喪失」という観点から難しさを説明されました。まとめとして、自助グループによる分かち合いが必ずしもすべての人に有効ではなくグリーフケアの道筋はひとそれぞれであること、ことばにしにくい場合は書くこともひとつの手段であること、人間をどのような存在と見るかによっても異なることなどを伝えました。


ハーモニー虹の活動への示唆として


 今回のセミナーを通して、ハーモニー虹の方向性がより明確になった気がします。『地域・施設で死を看取るとき』でふたつの看取りの形を「消極的看取り」と「積極的看取り」と整理しました。しかし、消極的という語彙はいやいやかかわっているようで適切でない気もします。ことばを変えれば、「点としての看取り」と「面としての看取り」といえるかもしれません。ホームホスピス宮崎では前者、ハーモニー虹の目指すものは後者といえるでしょう。父を始め自立意識の強い青葉区の住民は、看取りに特化した家に移ろうとは思わない気がします。すべてを自分で選び決定してきたという意識が死の場面だけの例外を許さないからです。したがって最終段階までいってしまえば、どんなに無機質であっても、病院のほうがましと考えるでしょう。しかし、いずれ病院での看取りは減っていきます。それならば、意識がはっきりしていて、多少の体力が残っているうちに、死んでいける場所を選択してもらうしかありません。そのことを地域の人たちにわかってもらうように働きかけること、そして、訪問診療、訪問看護、訪問介護とつながった個人宅ではない看取りの場を創る、それがハーモニーの構想です。
ホームホスピスの活動は、形としてははるかに明確でわかりやすいです。そのため、認可されてはいませんが、今年度から宮崎県の助成金も下りています。ハーモニー虹は、人にわかってもらえるよう地道に地域で活動していくとともに、道なき道を歩んでいるという自覚と覚悟が必要なのだと感じています。 (小畑万理)

>「聴講記」